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とと姉ちゃん唐沢寿明の花山伊佐治のモデルは誰?実在の人物なの?

朝ドラで常子と運命的な出会いをする花山伊佐治(はなやまいさじ)は将来の結婚相手なのでしょうか?気になります

NHK朝のテレビ小説のとと姉ちゃんのモチーフ(モデル)となっているのは雑誌「暮しの手帖」を創刊した大橋鎭子です

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この大橋鎭子さんが勤務していた日本読書新聞の編集長である田所さんが紹介してくれたのが花森安治さんです。
田所さんは大橋鎭子さんが自分で事業を始めたいという事を聞き、女性のための出版がしたいと相談を受けたいたのでした。

花森安治さんは1911年10月25日兵庫県神戸市生まれ
6人兄弟の長男として生まれました。

父親の花森恒三郎さんは株や競馬にてを出したり連帯保証人になって財産を失います。
更に、花森安治さんが8歳の時に、火事で家が全勝して長屋暮らしになります。
家計は母親のよしのさんが、昼に荒物屋や薬局で働いて、夜は和裁の内職をして家計を支えました

花森安治さんは幼い頃からどんなことにも物怖じしない性格でした
花森安治(はなもりやすじ)さんはそのほうに力のある人だからと勧めてくれたのでした。

朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」でも常子は花山伊佐治を雑誌の編集長に
とくどくのになかなか苦慮していますが、実際のところ、大橋鎭子さんは花森安治さんの事を「顔が怖いでしょう、近寄りがたい感じがして」と話していたそうです

朝ドラの中でも何度も花山伊佐治に怒鳴られる常子
女性の為の雑誌作りのために何度もめげずに花山伊佐治に挑んでいきます

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花森安治と母親
小学校の頃から画才があった花森安治さんは教室の後ろの黒板にイソップものがたりの場面を描いたり、宿題でも画用紙から迫り出るような電車の絵を書いたりして担任の先生を驚かせたといいます。

ヒョご県立第三中学校へ進学した後に一浪して島根県旧姓松江高等学校へ進学したのですが、その歳のなるに花森安治さんは母親を亡くします

裁縫の蓄えがあるから安治を大学へやって欲しいと言ってくれていた母親だったそうです。
心臓を患い亡くなりました。

きっとこの時に親孝行したかったという思いが心のどこかにあったのでしょう

後に大橋鎭子さんが花森安治さんんい雑誌を作りたいとお願に行った時に「君の親孝行を手伝ってあげよう」と行ってくれたそうです
花森安治さんの顔つき(鬼瓦とよばれていました)からは想像もつかないホロリをさせられる人情味がある人柄が伺えます

花森安治の風貌
最初花森安治さんてどんな人と思い暮らしの手帖を手にした時に、男性なのか?女性なのか?解らない人がいました
花森安治さんです
彼は女性の為の雑誌をつくるにあたり、雑誌を読む読者目線になるために書いを伸ばしていて、時にはスカートも履くという入れ込みようだったそうです

こんなに読者目線になって作られている本が売れない訳が無いと思うほどです
本当に感心しました。
暮しの手帖の編集長になった花森安治さんは企画をだして本の構成を考えて、レイアウトに写真取りm表紙や挿絵を書くなど全て頁も校正をしているので驚きです

マルチ人間花森安治
本「暮しの手帖」の表紙のデザインは花森安治さんのお仕事でした
画材を選ばす水彩やクレヨンや色鉛筆などなんでも使って書いていました
装釘家としても活躍して他の版元の仕事も請け負っていたといいます

ペンは剣より強い
今では武器を持たない時の代名詞のようになっていますが、まさかこの言葉も花森安治さんが考えたキャッチコピーなのでしょうか?
花森安治さんは戦争に対する後悔から何事に対しても信念を持っていました

無責任な商品があると徹底的に商品テストをして記事にして追求するという姿勢をくずさなかったのでした
「商品テスト」の記事は「暮しの手帖」の代名詞にもなったくらいです。

何事においてもこの調子なので花森安治さんならどう見るか?暮らしにかかわる独自の哲学や美学や痛烈な社会批評に世間の注目が集まり、花森安治さんはマスコミの寵児になっていきました

そんな花森安治は1978年残念ですが心筋梗塞で倒れて66歳で永眠したのでした

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