新次郎さん亡くなる病名と死因とは?信五郎の臨終シーンの新事実は
朝ドラ「あさが来た」引退までしたあさの新次郎さんロスが心配です、砂時計が暗示するようにとうとうあの世へ旅立ちましたが、小説には信五郎の臨終シーンでは意外な事実が書かれていました
あさと新次郎の夫婦の歴史
信五郎の病名や死因については
小説での信五郎の臨終シーン
新次郎あってのあさ、信五郎あっての浅子だった
日の出女子大学のこと
成澤はあさへの報告を終えると、榮三郎たちに挨拶をするために加野銀行に行きました
大隈綾子は客間に残りました
新次郎の体調を心配する一方、あさが仕事をやめることを惜しみました
あさは新次郎とともに過ごす日々に安らぎを感じています
40年も夫婦やったのに・・・ずっとうちはこないな時間持たへんかったやなぁてずっと娘ほったらかしにしてしもた思てましたけど、旦那様にもずっと悪い事してたのやなぁて
それでこそ、今のこの加野屋さんがあるのです
あなたが道を切り開いたのよ、新次郎さんもきっとそれを誇りに思っているはずよ
ですからどうか後悔なんてなさらないで
綾子と大隈は時折あさの事を話題にするという、名家に育ったあさですが、加野屋で商売の苦労を重ねた事で、女実業家として勇敢な一歩をふみだしたのだろうと話しているのでした
あなたこそ、人生の戦場における本物の勇者です
夜夫婦の部屋で新次郎と向き合うとあさは一日の出来事を色々語りました
この日は成澤や大隈綾子、の他に行員だった工藤サカエが銀行に顔を出しました
サカエは理解ある夫に恵まれて子育てが一段落したら、日の出女子大学校で学ぶ事を勧められたといいます
新次郎さんとあさの最後の時間
ハッハッハあさの思い・・・色んなとこ伝わってますがな
そうだすな、無駄やあれへんかったんだすなぁ
うんそこでこそ、わての奥さんだす
あさは、これからもぎょうさんの人に、パチパチはん、渡したげな、あかん・・・
新次郎は自分の事のように喜びました
それから何日かして優しい雨が降りました
空を見上げたあさの頬を、雨粒がぬらしていきました
史実では1904年信五郎さんが世を去ったのでした、享年63歳
なんと広岡信五郎さんも五代様と同じ糖尿病だったといいます
本当に残念ですね
ドラマの中の新次郎さんの死因や病名は味覚障害などの自覚症状から糖尿病や腎障害が考えられます
広岡浅子さんは信五郎さんが亡くなるとこれを機に一切の事業から身を引いたのでした
信五郎の臨終のシーン
広岡恵三の妹満喜子視点の小説「負けんとき」では信五郎の臨終の際に誰も予想しなかった事が起こります
なんと浅子が「旦那はんがおらんようになったら、わてどないしたらええのん」信五郎にとりすがって泣いたのでした
実はいつも男勝りで勝ち気な浅子が殊勝な涙をこぼすとは誰もが予想していなかったといいます
「何いうてますのん、今まで旦那はんがおったからこそ、私は自由にやってこられたんや」
浅子は広岡信五郎という夫がいたからこそ広岡浅子が実業家として開花した事を十分に承知していたのですね
ドラマの中でも事業から引退してまで最後まで新次郎の側にいたあさですが
新次郎ロスが本当に心配です