東柳啓介とは千代の未来の旦那さまモデルは一柳子爵の次男
朝ドラ「あさが来た」では工藤阿須加(くどうあすか)さんが登場です、あさのお見舞いに訪れていた千代が花瓶の水を取り替えに行って水やで東柳啓介と知り合います、今日はトラウマになった包丁のせいで花瓶を割ってしまう千代心の傷も気になります
東柳啓介モデルは広岡恵三と言います
日本女子大で開催されている広岡浅子展でも広岡浅子が一人娘の亀子の将来を心配して成瀬仁蔵にあてた書簡にしたためている様子が伺えます
史実では亀子は広岡恵三と結婚します
一柳子爵(ひとつやなぎ)の次男です
父は一柳末徳(ひとつやなぎすえのり)播磨小野藩一万石の最後の藩主でした
広岡恵三は1876年(明治9年)亀子と同じ年に生まれています
東京帝国大学の法科を卒業しています
東京帝国大学とは
明治19年に坑夫された帝国大学令のより設立された大学の事をいいます
最初は東京大学と呼ばれましたが明治19年に帝国大学令によって帝国大学に改名しました
明治30年に京都帝国大学が創立された時には旧東京大学は東京帝国大学に改名されました
略して帝大とも呼ばれました
1902年明治35年に広岡家へ婿入りします
なんと29歳で大同生命取締役と成ります
その後社長である広岡正秋が体調を崩した後には社長代理を努めます
1909年明治42年に広岡正秋が亡くなると2代目社長に就任します
連ドラ「あさが来た」の原作の小説「土佐堀川」の中では千代の縁談の話はほんの一行で語られています
大同生命が発足した年に、亀子(千代のモデル)に子爵一柳家の次男恵三が婿養子として迎えられました、東京帝国大学法科出の逸材で加島銀行銀行と大同生命に関与し勤務することになったと記述があります
本当はお見合い結婚だったのでしょうが、朝ドラでは出会いがドラマチックに演出されています
↓ドラマの中ではなかなかすんなりと結婚出来ないようですね
大隈綾子から千代と啓介のお見合いの日取りの手紙が
それにしても広岡恵三さんの写真が今でも残っていますが顔はなかなかのハンサムでとても頭の良さそうな方です
東柳啓介は帝大卒の超エリート工藤阿須加がカッコイイ
工藤阿須加の東柳啓介役はあの錦織圭に勝つ実力があるとは?
この後は大同生命は広岡恵三の手腕により発展する事になります
後に広岡家の設計や大同生命の旧肥後橋本社ビルを設計したのは広岡恵三の妹満喜子さんと結婚するヴォーリズでした