あさが来た原案者・古川智映子さんが語る著者「小説 土佐堀川」誕生秘話とは
NHK朝ドラ・朝の連続テレビ小説にはドラマの原案があります、なんと今から28年前に書かれ出版されていたと聞いてぴっくりぽんですが、当の著者の古川智映子(ふるかわちえこ)さんも朝ドラの原案になると聞いた時はびっくりぽぽぽんのぽんだったそうです
著者も楽しみに見ている朝ドラ「あさが来た」
この「小説 土佐堀川」は一体どのようにして誕生したのでしょうか
古川智映子さんはなぜこの誰にも知られていなかった広岡浅子を主人公にしようと考えたのでしょうか
どうやら古川さんの本気で作家を目指した事に影響しているようです
広岡浅子さんの子孫に聞いた話や創立に関わった日本女子大学へ行って調べて解ったエピソードを披露されています
著者の紹介
生年月日:1932年4月1日生まれの83歳
出身地:青森県弘前市生まれ
出身校:青森県立弘前中央高校
出身大学:東京女子大学短期大学部英語科、同大学文学部日本文学科を卒業
東京都内で私立の高校の先生を軽々した後に小説家になる
潮出版:処女作「小説 土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯」
古川智映子(ふるかわちえこ)さん56歳の時の作品です
小説を書くきっかけは32歳で家庭が破綻
同郷の研究者との結婚生活、夢に描いた家の建設、良い家庭生活を作る事に熱中していたのに簡単に崩壊したと語ります
生きていくのにはどうしたいいのか呆然としていた時期があったそうですがそこはさすが「あさが来た」のモデルの本を書くような方だけあって自分なりの者を書きたい!と切望するようになったそうです
9年間の結婚生活への終止符と重なりいろいろ模索していた時期だったそうです
それは古川智映子さん自身が生き方を模索していた時期と重なるそうです
今から30年ほど前にボランティアで女性の「生き方に関する講演」をよく引き受けていらっしゃたそうです
講演会で話す為に参考になる人物を探そうと「大日本女性人名辞典」(高群逸枝著 復刻版 新人物往来者)を購入して最初から読んでみたそうです
そして読み進めて目に止まったのが広岡浅子さんだったのです
「鉱山の経営にあたった時は坑夫などと起臥をともにし、常にピストルを携行したというふ」というわずか14行ほどの一文に惹きつけられ、ぜひ小説にしたいと思ったのでした
小説にしたいと思ってはみたものの手がかりになる材料がなく途方にくれました
大同生命に取材に伺うと親戚の方が見つかりました
さらに子孫の方にもお会いできたそうです
この親類や子孫の方が伝え聞いていた広岡浅子のエピソードをお聞きして大変助かりました
そこで広岡浅子さんの写真を見た時や嫁ぎ先の両替商宛の新選組の借用書にある近藤勇さんと土方歳三さんの署名には歴史が身近に感じられ感動したそうです
創立に関わった日本女子大学にも訪れて広岡浅子が残した書物を読みすすんでいくと事業での苦労話や乳がんを克服した話などなど、本当に興味深い話が色々と出てきたそうです
広岡浅子は人間には活力が大切だと考えていたことや、己にとらわれずに常に社会に貢献しようと考えていた事が書かれていたそうです
感心するのがあれだけ女性実業家として収益を上げていたにもかかわらず広岡浅子が利用する汽車や汽船では3等(普通か普通以下)にしか乗らなかったことがわかり広岡浅子の人なりに触れた思いがしました
お金を大切にする三井家の血が感じられました
広岡浅子が生き抜いた幕末から明治の時代にかけてこの日本の歴史の中においてめまぐるしい変化の時代でした
国内では鎖国が解かれて300年もの間治められていた江戸幕府から明治へと政治も経済も大きく変革を遂げたのでした
おかげで海外からは西洋文化が押し寄せてきましたし、この時代の商人達はインターネットも無い時代に世の中の動きを読むのにどれだけ苦労をされたことでしょうね
そんな荒海の中の小舟のような日本の経済の時流にうまく乗れたの広岡浅子は炭坑事業に乗り出したのでした
広岡浅子の実家があの有名な三井財閥だった事もあり三井家の影響がかなりあったと思います
著者の思う広岡浅子の最大の魅力とは「九転十起」の粘り強さだと言います
それを裏付けるのが、九州の炭坑事業も最初は思うようには産出量が上がりませんでした
周りからは傷が浅いうちに辞めるようにも言われた時期もあったそうでっす
それでも決して諦めず、初診を貫徹したのでした
その上広岡浅子には抜群のリーダーシップ力があったのでした
大同生命設立の時には元文部大臣秘書官の中川小十郎など、非常に優秀な人材を広岡浅子自ら集めているのです
この明治の時代に、一般の女性は人に従うことしかできなかった時代なのに凄い事なのです
広岡浅子に関する逸話や発言は実は現代でも全く色褪せる事なく通用するのでした
もしも起業の経営者の方が朝ドラをご覧になるのでしたら参考に成ることが沢山あるのではないでしょうか
広岡浅子の夫広岡信五郎については残念ですが、あまり情報が集まらなかったそうです
人なりもはっきりとした事は解らなかったと言います
ただ、妻の広岡浅子は非情に負けず嫌いで何でもズバズバと物を言う性格の女性だたに違いなのですがそんな妻の女性としての生き方を許しており、要所要所の肝心な時には下から支えてくれた男性です、おおらかな性格で有っただろうと想像がつきます
広岡浅子の生き方から今の女性に感じて欲しい事
著者の古川智映子さんの「小説 土佐堀川」は28年も前に出版されいますが小説に登場する広岡浅子さんの生き方は色褪せずこの生きにくい平成の時代、特に2016年代に必要なドラマだったのでは無いかと思う
ドラマ「あさが来た」がみんなの元気の素になっているなんて
著者も知り合いに脳出血で倒れて以来頼闘病生活中の知人から朝ドラを見るようになってから介抱に向かっていると家族の方から知らせがあったとか
他にも肺がんを患いもう長くないと医師より診断されてしまった女友達から朝ドラをみて勇気が湧いて来ましたと連絡があったりと、著者が原作となりテレビで放映されている「あさが来た」を見て嬉しい知らせや連絡があり涙が出そうになるほどうれしかったそうです
朝ドラは単なる「ドラマ」ではなくて見る人々に希望と活力を与える使命を帯びていると
著者はこれからもドラマを通じてひとりでも多くの方に広岡浅子の生き方を知っていただいて、彼女の人生から何かをつかみ取っていただけたら幸いだと締めくくっています
これは28年も前の小説が今になって朝の連続ドラマ小説になって放映されるというよりも現代の苦悩する女性への励ましのドラマだと思いました
明治時代まではおなごは夫に従うものだったとか女性に学歴は不要だとか言われて続けてきて其の名残をずっと根底に引きずったまま現代に至っていると思います
女性の社会進出が目覚ましともてはやされていますが、子育てに家事に仕事にと女性の役割は多すぎるように思います
結婚もしたい子供も欲しい、しかも現在の会社でのポジションは維持したいというジレンマが発生する、男性にはわからない部分かもしれないが女性は常に悩みを抱えていると思う
考え過ぎても駄目何も考え無いで進むのも無謀である
女性の仕事を大目に見て欲しい訳ではないが女性が男性と同じように会社での戦力を求められる時代、子育てをネックになかなか前に出れない女性もいる事が確かである
古川智映子さん著者「小説 土佐堀川」や朝ドラ「あさが来た」は今自分はこのままでいいの?迷っている女性の後押しもしてくれたと思う
100年もの前の時代に女性が苦労して自分の生きる道を切り開いていっていたとは
明治、大正、昭和、平成の時代を経て女性の地位が過去どのようなものだったのかが分かり、当時の大変さがしのばれる、現代を生き抜く女性に明るい希望と強い勇気を与えてくれた