あさが来た・【広岡浅子展】女子大学校創立の恩人・入館無料の開催期間は?
NHK朝ドラは4月2日に最終回・桜が満開です、【広岡浅子展】に行ってみませんか?ナルさまに1億円の寄付をポケットマネーからポンと出したという太っ腹の実業家女子広岡浅子さん、悲願の日本初の女子大学創立に為に!成瀬仁蔵(ドラマでは成澤泉・ナルさま)という男のロマンの為に!奔走した実像を間近に触れてみませんか?
【広岡浅子展】入館が4月8日まで延長になりました
日本女子大学成瀬記念館で1月から始まった展示会の来館者は1万人を突破しました
3月4日迄が最終日でしたがなんと4月8日まで延長される事になりました
【あさが来た・どんなドラマなの?】
NHK朝の連続テレビ小説のヒロインあさのモデルになった人物は広岡浅子さんです
小さい時からお転婆で蛇の抜け殻を振り回して男の子を従えては相撲を取って遊んでいました
その反面、本を読むのが大好きなおちゃめな女の子でしたが、お母様に13歳の時に取り上げられて禁止されてしまいます
京都の豪商今井(三井家)に生まれ2歳の時からの許婚である大阪の豪商両替屋、加野屋(加島屋)へ嫁ぎます
17歳で嫁いだあさはお姫様のように扱われました
外出する時も結婚したのに振り袖を着せられて籠を用意されて大事されました
こんな生活いつまでも続かない!普通のお嬢様ではなかったあさはフワフワと三味線に謡にとお稽古事にうつつを抜かす夫、新次郎に頼んで算盤などを勉強し始めたのたのでした
その後明治の御維新の時に次々と両替商が倒産していきます
同じ年に嫁いだ姉はつの嫁ぎ先山王寺屋が没落して夜逃げをしてしまいます
加野屋もその時代にして約4000億円が回収不能という未曾有の危機が襲ってきています
そこで日頃から算盤など商売の勉強をしていたあさが少しづつでも藩を回ってお金を回収する事を提案しなんと成功するのでした
嫁ぎ先の加野屋の8代目正吉に商才を見出され両替商の次の商いをさせてもらえました、炭坑に目を付けたあさは九州の炭坑と大阪を往復しながら途中で紆余曲折ありましたが大成功を治めるのでした
青息吐息の加野屋がなんとか息を吹き返しました
その後炭坑と平行してコツコツ儲けたお金を元に加野銀行を創業しました
なんと女子行員を雇い教育したのが功を奏して大繁盛し、営業所や支店を全国各地に出店して業績を伸ばします
ある日こ汚いふやけたワカメのような羽織を来た清貧の男がやって来て女子大を創立するのに賛同願いたいと申し出がありました、話の内容は良いがこんな男には大事業は無理だと断りました
ところがその時に男がおいて行った1冊の本「女子教育」を読み感動の涙を流したあさは、日本初の女子大学創立に向けてその成澤泉(成瀬仁蔵)と共に日本女子大学創立に向けて寄付集めに奔走するのでした
7年かかりましたがやるとなったらやり通すあさの信念が通じ実家からの土地の援助もあり東京目黒台で日本初の女子大学を開校したのでした
その後乳がんの手術をして生命保険のありがたさを実感したあさは生命保険会社(史実では大同生命)も創業してしまいます
大同生命は現代も引き継がれ営業をしています
広岡浅子展はいかに女子大設立の資金集めに奔走したのか苦労した内容等を書簡や再現されたドレスを通じて広岡浅子の実像に迫ります
【初公開の書簡】
書簡に浮かぶような浅子の実像に迫ります
娘・亀子の事を常に気にかけていた母親らしい書簡
口語訳の一部「亀子の養子のこともなにとぞよろしく相談願い上げます。ご承知の通り、本人は世間知らずなので、はなはな困っております。よろしくお意見、思うし聞かせくださいますようお願い上げます・・・・」
自他ともに認める「初志貫徹」の精神
口語訳の一部「追伸、私は何事であっても意(決めたこと)はころころ変えたりしない変える事ができない気性であり、そのこと、ご承知のここと存じます」
初の女子大設立へ資金集めに奔走した様子が伺えます
口語訳一部「日本女子大への)寄付金集めておりますが、今日みなさん、出金はすると確かに言ってはおりますが、その機会はちょっとでも猶予いたすべきではなく、一日も早く、寄付金集めに着手していただきたいと希望いたします」
【再現されたドレスも展示】
資料から再現された広岡浅子のドレスも展示しています
公開されています
日本女子大学被服学科の卒業生が広岡浅子の白黒写真をもとに再現したドレスが2点
当時の世界観を描き出しています
【広岡浅子展開催は4月8日迄期間延長】
住所:東京都文京区
場所:日本女子大学成瀬記念会館
開催時間:10時~16時30分(土曜日は12時まで)
日・月・祝日休館
入館無料
問い合わせ先:03-5981-3376