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あさが来た大隈重信役の高橋英樹は早稲田大学創立者であさの最大の理解者

朝ドラ連続テレビ小説に登場する大隈重信役は時代劇でちょんまげが似合う高橋英樹さんです、奥様綾子役は松坂慶子さんが演じます、成瀬仁蔵(成澤泉)女子大学創立に賛同した、浅子(あさ)は活動を開始しますがなかなか理解されず苦慮します、そこで東京専門学校を早稲田村に開設した政治家である大隈に面会を求める手紙を書いたのでした

大隈重信:おおくましげのぶ
1873年(明治6年)佐賀県生まれ
尊王攘夷派志士として活躍をします
維新政府では小松帯刀の推薦で外国事務局判事を経て1870年(明治3年)参議になったのでした

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大1873年(明治6年)大蔵省事務総裁に成った後に大蔵卿に就任しました
征韓論争で反対意見を示してその後に財政の責任者として大久保利通を補佐したのでした

明治14年に政変で失脚しましたがその翌年には立憲改進党を組織します
1907年(明治40年)政界を引退しますがその後に復帰を果たし1914年(大正3年)再び首相になりました

この大隈重信さんは東京専門学校、現在の早稲田大学の創立者です
日本女子大学校創立の時に賛同者として名を連ねてくれます

こんなに経歴の持ち主が浅子の事を高く評価します
人生でぶつかる苦労や苦しみは浅子を玉成し、ついに浅子を稀な女傑にしたのでした
浅子は元々、我が国有数の富豪に生まれ育った後に加島屋に嫁ぎました

その加島屋の家は衰退の一途を辿っている崖っぷち状態でした
ところが浅子が奮起して起業したために今の商売繁盛に繋がったのです

浅子は初めは自分のした事がどんな偉業であるか知らなかったのでしょうが、その後幾多の困難に出会ってもその度に解決をしてとうとう自分の能力を理解できるように至ったのでしょう

衰退の崖っぷちにいた加島屋を盛り返し今日においては教育など慈善事業に自分の財産を寄付してまで女子大学校に巨額の寄付をして、心配りをしながらも私の創立した早稲田大学校にも少なからず寄付をしてくださいました

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浅子は東京へ上京する度に我が家を訪問してくれる気遣いのある人です
浅子の家庭も実に円満であり特に子女の教育に心を砕いており、二人の娘は女子大学にかよっているので時々大学を訪問しますが実に立派で浅子のへいぜいの薫陶が自然にあらわれていると賞賛しています

浅子は女であるものの、恐らく三井十余家の人物の中で最も秀でた人でしょう
初めこそ浅子は加島屋再興の為に三井家に談判をもちかけては、三井家では少し持て余し気味に見えましたが、人生の戦場におけるこの勇者は今や三井家にとって大いに歓迎されるようになりました

何かの重大会議があると浅子は是非とも参列して意見を陳述をしないといけなくなったのでした
こんなに輝かしい経歴の持ち主に気に入られて女傑冥利に尽きる事でしょう

【大隈重信の開校した早稲田大学とは】
一旦政界を去っていた大隈重信が開校しました
最初は政治経済学科、法律学科、理学科、英学科でした
東京専門学校の名称で開校しました

朝ドラ「あさが来た」であさは成澤泉(なるさわいずみ)の「女子教育」に感動して女子大創立に賛同し早速加野屋の人脈を行かしてあちこちの富豪に賛同を陳情に行くが、なんと加野銀行の上客である工藤徳右衛門にお願いしても拒否され、榮三郎には叱られ落ち込みました

そこで成沢泉とも相談して既に大学を創立している東京の大隈重信に寄付金の集め方を相談しようと上京するのでした

そこであの大隈重信相手に「道の向こうの宝玉では無く、目の前のビー玉に満足していたんです」と熱弁を振るう
あさに大隈重信が太鼓判を押す強い味方の登場です

経営陣と教員は大隈重信が率いる改進党の関係者が多かったのですが自ら「学問の独立」を標榜して党派色を排除して独特の在野の精神を育みました
その後1902年(明治35年)早稲田大学と改称しました

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