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あさが来た成沢泉モデル成瀬仁蔵著「女子教育論」に泣いた感動何が書いてあるの?

NHK朝ドラでは成澤泉は中川ハトが学んだ桃沢女学校の先生で清貧ときてる、栄養失調で加野銀行で倒れてしまいます、強引とも思える態度で成澤の理想実現の為にお願いに伺いましたと言います、日本で初の女子の大学校を作ろうと思ってますと熱弁をふるうが、断られると「女子ノ教育ニ就テ」という原稿を手渡したのでした

ひもじそうなふやけたワカメの羽織の男
加野銀行で出されたお茶を何杯も飲んで
あげくにあさに投げ飛ばされてしまいました

なんとも栄養失調とは・・・

女子行員の中川ハトがもしかしたら自分が学んだ桃沢女学校の先生では?と言う
女学校の先生?

住んるいうてる所まで店のもんに送って行かせたらえらい貧しい家やったそうで
夢のためにお金を使い果たして奥さんに愛想つかされたんやないか?って

まさか先生しはったとは
こ汚くてまさか先生には見えない
一体何の用でうちの奥さんに・・・

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女子の教育に関心はおありですか?
私は長年女学校で教鞭をとり

アメリカでは女子の教育について学んで参りました
日本でもご一新以降ようやく女子の地位向上が考えられ
明治3年横浜のヘボン施療所で女子教育が始まり

翌年には5人の女子が初めてアメリカに留学
そして東京に女学校が開校し京都では新英学校 女紅場が開設され
明治8年には官立の女子師範学校が開校

しかしここに来てまだ女子にだけ開かれていないものがあります

開かれて無いもん?

私は日本で初の女子の大学校を作ろうと思ってますと熱弁をふるう
ぜひともあなたにその設立にご賛同を頂きたい

そらえらい事だすなぁ
そないな事誰も考えすらせいへんかった事
えらい事や!

そうでしょう・・ぜひ

理想は素晴らしい
そやけど
あんさんにできる事やと思われしまへん
失礼します

ああ!あなたほどの人でも解らないのか?
女子の責任を重くして活発成らしめ其の快楽を大きくし日本婦人を鎖から解き放とうとは思わないのですか?

成澤さん

うちは此の通り忙しい身だす、今日は堪忍してくれやす

いいや決して諦めますまい
新しい女子教育に理解を示してくれる方は
日本広しといえども貴方以外ありますまい

そう言って私が書いた教育論です
懐から「女子ノ教育ニ就テ」と書いた分厚い原稿用紙をあさに手渡し深々とお辞儀をして去って行ったのでした

史実ではこの頃、広岡浅子は潤野炭坑へ行ったり来たりしていました
そして潤野炭坑へ出かける時に1冊の本を携えて行ったのでした

成瀬仁蔵著「女子教育」これは1896年(明治29年)2月に刊行されました
内容は女子高等教育の必要性を綴ったものでした
この「女子教育」の題字を書いたのはこの時の文部大臣である西園寺公望でした

成瀬仁蔵との出会いは広岡浅子自身と広岡家のビジネスにも大きな影響を与える事になったのでした

広岡浅子と成瀬仁蔵の出会いは恐らく成瀬仁蔵が校長をしていた梅花女学校が加島銀行に近かったかたではないかと思われるが、成瀬仁蔵が自ら広岡浅子を訪ねて、女子大学設立のための資金協力を求めたのでした

最初、浅子は冷淡だったと伝えられています
というのも、教育事業をやりたいから金を出してくれと行ってくる者は少なく無かったそうです
どれもこれも方針や計画が広岡浅子を満足させるものではなかったようです

成瀬仁蔵もそうした者たちと同じだと思ったようです
ところが「女子教育」を読んで広岡浅子の気持は変わりました
一体「女子教育」に浅子を感動させる何が書いてあったのでしょうか??

今日の朝ドラ「あさが来た」では新次郎が帰ってふとあさを見ると泣いているではありませんか・・・
どないしましのや?あさ

堪忍、そやけど・・・
何べん読んでも涙が止まりまへんのや
両手には成澤泉が書いた「女子ノ教育ニ就テ」がありました

この世にこない素晴らしい考えてはった人がいてはるなんて
びっくりぽんや!

泣き笑いしているあさでした
この原稿との出会いがあさを新たな舞台へ導く事になるのです

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史実とドラマで広岡浅子とあさに活躍の場を提供する事になる本とは
成瀬仁蔵著「女子教育論」

『女子教育』において成瀬仁蔵は次の三つを掲げました
1、人として教育すること
2、婦人として教育すること
3、国民として教育すること

この書かれている順番にあさは注目したと思います
男性も女性も人間であって人として自立すべきだと成瀬仁蔵は訴えたのでした

社会的な地位も性別だって人の真価にとって関わりなんかない
この本にはキリスト教の影響が少なからずあるようですが、身分制が法律で定められている時代、男尊女卑が残っている明治時代にしてはとっても進んだ考え方であってあさが日頃考えていた事だったのです

人を個人として尊重する、その上で一人の女性として社会や国家の役に立つ事ができるように実践的な教育をしてあげるべきだという考えでした

成瀬仁蔵のこのような考え方には、明治時代の知識人らしい前向きなナショナリズムが表現されています
浅子さんが後に銀行員の教育をする時に小僧も役員も同じように接して教育をしたというのがうなずけます

史実での広岡浅子の「女子教育」感想は
彼の女子教育論を読み始めて先生の女子教育にたいしてのご意見に接するを得ました
繰り返して読みましたことが3回
先生の主義についてご熱心な事は自ら其の書に著はれて居って、私は之を読んで涙が止まらなかった位でした

まさにこの人こそ進に女子教育を託すべき人だと感じ、又自分の希望する女子を養成する事のできる方と信じました

それで微力ながら出来得る限り尽力をすることを承諾しましたと感想を述べていました

成澤泉役モデルはなんと日本女子大創設者


成澤泉とはモデルのWiki成瀬仁蔵・女子教育の父を年表で見る


あのあさが泣いているなんて
成瀬仁蔵著「女子教育論」に泣いた!何が書いてあるの?


↓あさまさか惚れたの?
なんと成澤泉ことナルさまに1億円の寄付したあさ


女子大学校創立の恩人【広岡浅子展】入館無料の開催中


浅子とあさが悲願だった女子教育
おなごに勉強は必要無いと言われて育ってきましたが
やっとおなごにだって教育が必要だと共感できる人が現れたのでした

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