Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

ドラマまとめ好き.com

あさが来た 大名貸しの意味は江戸時代に両替商の大部分が行っていました

あさが来たでは借金の取り立てを思いついたようですが、江戸時代は宇奈月藩を筆頭に藩の収入の大部分は年貢米でした

朝ドラでは宇奈月藩が貸したお金の回収のターゲットになっていましたが実在はしない藩のようですね
蔵に納められた米というのは大坂の蔵屋敷にはこばれて、蔵屋敷でお金に換えられる事は説明済みですがあさが心配する大名貸しについて説明してみましょう

スポンサードリンク

年貢というのはある年の分はおおむね年末までに藩の蔵に集められます
そこから、大坂の蔵屋敷に運ばないといけません
東国の藩は江戸にも蔵屋敷を設けて売買をしていました

ところが将軍のお膝元である江戸は幕府の統制が厳しいのと、旗本も米をお金に換えるので売れるお米の量も価格も制限されてしまうのです

そのため多少時間がかかっても大坂に運んでお金に換えるのです
ただ遠隔地ですと船を利用する事になるので、なんと1年以上かかる事もありました

藩にとっては収入源が年に1回の収穫のみでしかもお金になるまでかなりの時間がかかってしまうので藩の財政運営がどんどんきつくなるのです
そこに追い打ちを掛けるように飢饉なども発生していました

収入は年に1回なのに対して支出といったら、当時行われていた参勤交代があり、この参勤交代には莫大なお金がかかっいました

また江戸での生活にはこれまた多額の金銭が必要になります
もしも、ここで資金を融通してくれる商人がいなかったら、立ち行きいかなく成るのでした

江戸時代には大名貸しという貸付がありました
この貸付は京都の大商人が多かったようです

ところが大坂が経済の中心に移ってくると大坂商人が一番の貸してになってきます
当時の大坂の豪商に鴻池屋と加島屋はその筆頭だったのです

貸付をする背景には、大坂商人の金は遊ばせてておいても一文にもならないという思いがあったでした
せっかく儲けたお金を蔵に貯めていたとしても利子はつかない

それどころか盗まれたり火事にあって失ってしまう危険が平成の現代よりかなり高かったようです
そんな位ならと金に金を稼がせるべきだと考えたようです

確かに900万両も貸出していると算盤で弾きだしたあさが新次郎さんに蔵を開けてもらったら千両箱がほとんど無い状態で驚きましね

大名貸しの利息は?
大名貸しの利息は年利換算すると10%前後ですが幕末に向けて諸藩の財政は窮乏しいくとともに下がって行きます

普通は苦しくなるほど借金の利率は高くなりそうなものですがこの大名貸しの場合は元金の返済も難しいと考えていたのでしょうか少しでもいいからとにかく払ってもらうという考えだったようです

それだったらお金を用立てる方は商売が成り立たないように思います両替商には利子の他に武士と同じく扶持米が与えられていて鴻池屋は扶持米だけで年間1万石の収入があったといいます
※扶持米・・・主君から家臣に給与として与えられた俸禄

お金を貸すリスクはかなり高いと思います
しかも大名貸しというのはお金の足りない権力者に貸すので貸し倒れの可能性が高いのです

スポンサードリンク

あさが来たでも宇奈月藩は10年程前に新規で借り入れの付き合いが始まりそれから一度も借金の返済をしていないと「あさ」」が「正吉」に報告しています

何十年何百年も付き合いのある所ばかりで信用が第一と「あさ」に言い聞かせていましたが、宇奈月藩は付き合いの歴史が短かったので借金の取り立てに行っても良いと考えたのでしょう

大名は何かと理由をつけて返済を渋って踏み倒す藩があったようです
蔵米が事実上の担保となっていますが飢饉で収益が少ない年もあり充分でもなかったようです

元々お金を貸している商人は元金の返済についてはあまり期待はしていなかったそうです、利子と扶持米がえられると利益が出ると考えていたようです

元金が戻る事が見込めないのを承知で豪商は大名貸しをしていました
そのため失敗して没落(倒産)する商人も多かったようです
生き残った商人は利益が利益を産んで更に大きくなっていきました

生き残って行った成功者はリスクヘッジを考えていました
お金を貸す前には徹底して下調べを行うとか、借金の申し切れが有った場合には仲間を集めて応じるとか人脈を駆使してしっかり返済されるようにしていたようです

その中で加島屋の場合は、なんと藩に財政の計画書なるものを提出させていたようです
その内容を見た上で融資の可否を検討していたとか

例として津和野(つわの)藩への貸付の時には和紙と蝋燭(ろうそく)という藩の特産物を販売しした代金で返済するとの取り決めがなされていました

江戸時代の後半にはどの藩も財政難に陥っておりどの藩も倹約したり、商品開発をして財政再建を行っていました
この時になんと借り主である商人がコンサルタントよろしくアドバイスをしていたのです
鴻池屋や加久などの商売のあり方を見ると、現在の銀行が行っている役割を果たしているので驚かされます
いずれも明治維新の後に銀行を設立していますのもうなずけますね

スポンサードリンク