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あさが来た姉はつの運命と生涯 山王寺屋・眉山家に嫁いだその後

浅子にはドラマの山王寺屋のモデル天王寺屋に嫁いだ三井春という薄幸の姉がいました、朝ドラ第149回放送ではこのは春のモデルのはつの旦那様が亡くなってしまいます

asa6 あさが来た姉はつの運命と生涯 山王寺屋・眉山家に嫁いだその後
実際に浅子には3歳上の姉・春がいました
朝ドラで山王寺屋へ嫁ぐあさの姉のはつは明治維新の時の時代の波に飲み込まれて山王寺屋が没落して一家で夜逃げします

借金取りから逃れる為に行く先を転々とします
「山王寺屋一家の夜逃げ」はこちらのページへ

あんなに華やかやお嬢様の生活を送っていたのに嫁いだ先が破産した為に悲惨な運命を強いられます

まだ途中までしが解りませんが、ドラマの中のはつはいつも前向きに生きていて旦那さんと大切にして立てておなごなんか嫌いやと言っていた白蛇はんこと惣兵衛と心通わせて幸せそうな様子が読み取れました

はつが惣兵衛を励ますのがけなげはこちらのページへ
昔通りの綺麗な格好ができて幸せそうなあさとは対照的な感じがしますが、せめてもの救いが白蛇はんと心通わせるシーンがある事です

実家から、加野屋の奥様よしからもあさから達が陰になり日向になり物資を運んで面倒を見ます
跡継ぎの男の子も二人生まれて後には今井家の母の梨江の資産である和歌山県の土地和歌山県の土地を貰い受け百姓をする為に和歌山へと旅立つようです
はつが無事男の子(藍之助)を出産・卑屈な姑菊に涙するシーンはこちらのページへ

お金があるのが幸せとも限らず貧乏だから不幸でもないという事を現代人に悟らせる話になっているようにも思えました

実際のモデルであるあさの姉の春は25歳または27歳で病気で亡くなりました(本によって少しずつ没した年齢がずれています)いずれにしても早逝だったと言えるでしょう

この二人は三井家で一緒に育っていたのですが資料が残っていませんので春の詳しい事は解かっていません

三井家史料によると「四女浅、別腹」と残っています
浅子が四女となるとあと3人の女の子がいる筈ですが見つかりません

わかった事をまとめると
春も浅子も益も父・高益のめかけ(側室)の子であること
春は高益の養子である高喜の養女として三井家に入り

浅子の父である高益のしょう腹(別腹)の子は少なくとも二人いたその中の一人が異母姉の春
浅子は高益の養子の義妹として三井家に入家している

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もう一人は同じく異母妹の益
この3人の母親が誰なのかは不明です

益は浅子の甥の高景の妻でした
結婚後にまもなく死去してしまいました

asa6 あさが来た姉はつの運命と生涯 山王寺屋・眉山家に嫁いだその後
1865年(慶応元年)浅子が船に乗って大坂へ信五郎へ嫁いだのと同時に同じ船に乗って姉の春も大坂へ嫁いだ迄はわかっています

3月26日浅子と異母姉弟の春、ともに大坂に船で下りました
京都伏見から琵琶湖にでて淀川を出て大阪湾へ

4月3日に浅子は加島屋へ
4月9日に姉の春は天王寺屋へ嫁ぎました
三井春が嫁いだ時の風景はこちら↓

あさが来た 姉はつが惣兵衛の元へ嫁入り船下りの美しいロケ地は?

姉春の嫁ぎ先は加島屋と同じ両替商の天王寺屋です
大坂では鴻池屋に並ぶ天王寺屋は名門です

長らく大坂の豪商の指導的立場にあって家禄が高かったのですが江戸中期以降は商売があまり上手くいっていませんでした

嫁ぎ先は生まれてすぐに決められてしまっていたという春と浅子、その頃は家の調子も良かったのでしょうがその後は激動の時期、春は幸福な未来を想像できなかったかも知れませんね

春は9代目当主の大眉五兵衛の妻となりました
ところがこの天王寺屋は明治維新の大混乱の時に廃業に追いやられてしまいます

明治維新の跡の明治5年(西暦1872年)天王寺屋は大坂の商人が共同で立ち上げた綿商社の創立に加わっています

しかしまもなく、その名は財界から消えてしまったのです
資本が豊富になかった事や幕府の滅亡で特権を失い、商売が立ちいかなくなってしまったのでしょう

その時の苦労が重なったのでしょうか、春は1972年(明治5年)25歳の若さで病気で亡くなってしまいます

三井家でも春の病気を心配していたようです、病気の状態を知らせる手紙が残っています
もちろん浅子の耳にも入っていたと思えます

ところが浅子も加島屋もその当時は一番苦しい時期だったので姉に手を差し伸べる余裕が無かったのでしょう
後年になってもあれだけ仲良しだった姉の事を話題にしていません、救おうと思っても救えなかった涙物語になるか浅子は何も語らなかったそうです

NHKの朝の連続ドラマ小説「あさが来た」では本当はあさは山王寺屋へ嫁に行く事が決まっていたがじゃじゃ馬娘だったために加野屋に嫁ぐ予定の姉のはつと交換されたという事になっていましたそのおかげで加野屋であさは実業家としての営業能力を発揮した為に加野屋は生き延びさらに事業を拡大していきます、もしもこの実在の浅子と姉の春の嫁ぎ先が逆だったら一体どういう運命が待っていたのでしょうか

もし、浅子は天王寺屋に嫁いても潜在していた才能は発揮出来なかったことでしょう
そして春が加野屋に嫁いだとしても時代の流れに乗れずに没落したでしょう、そうなった可能性が強いと思います

幼くして嫁ぎ先を親に決められてしまっていた二人、自分の意思ではどうにもならない二人の運命
運命のいたずらに振り回されてしまったのだろうか
その後は天王寺屋の子孫は途絶えたと思われていましたがどうやら子孫がいるらしい事が最近、判明しました

まだまだ詳しい事までは解かって居ませんが、ドラマ「あさが来た」がきっかけで詳しく解明されるといいですね

ドラマ「あさが来た」の中でのあさの姉はつは山王寺屋へ嫁に行ったばかりに苦労を強いられます
惣兵衛が失踪後戻って来たシーンはこちらへ
惣兵衛お帰り!もうはつから離れないで「あなたさまを迎えに来たんです!」

子供が二人授かかり、ささやかな幸せを掴むようですが、やはり本当の春と同じように早逝の運命がまっているのでしょうか・・・

とっても気になる所です
実在の人物とは少し内容を変えて欲しいところです

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実話では大坂の長者番付表が残っていますが
上段の右から4番めには9千両に天王寺屋五兵衛の名前が記されています

天王寺屋は大坂でも最も古い両替商で、伝承によると聖徳太子の時代から続く旧家と伝えられています

大坂の長者番付表のトップには1万両に鴻池屋善右衛門と並んで加島屋久右衛門の名前も記されています

大坂の船場にある、天王寺屋が当時あった横丁を示す石碑があります
大坂で最初に両替商を始めたのが天王寺屋五兵衛、その「天王寺屋」と道をはさんで店を構えていたのが、同じく大手両替商の平野屋五兵衛「平野屋」お互いの名前が五とつくので五と五で十兵衛になり「十兵衛横町」と命名された・石碑には「天五に平五 十兵衛横町」と刻まれている

ある研究によると1949年(嘉永2年)の長者番付に乗った豪商231人のうち1902年(明治35年)までに資産家として残っていたのはわずかに20人のみだったとか

1割以下しか残っていませんでした
幕末や明治維新の混乱で江戸時代の豪商の9割は没落してしまいました
春が嫁いだ大眉家(天王寺屋)は無能だったでしょう訳ではなく後に大財閥になった三井家がずば抜けて上手に生き残ったと言えるでしょう

三井家、広岡家、大眉家の運命の分かれ道はどこにあったのでしょう
↓史実とはちがう「あさが来た」ドラマ展開に注目
まさかの惣兵衛ロス・はつの喪失感が半端ない・夫婦愛が凄い
ちなみにあさこの姉である春の夫、大眉五兵衛は1899年(明治32年)に亡くなりました

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