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まれ能登半島パティシエ物語「里山里海」の素材を活かしたケーキ作りが食べたい

世界一のパティシエを目指す「まれ」に出てくるパティシエ紺谷希

家庭の事情で夢半ばで能登でケーキ屋さんを開く事になりました、「希」より先に石川県の能登半島でケーキ作りに取り組んでいる先輩職人(パティシエ)さんをご紹介します

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・ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ・七尾市
「世界の辻口」に師事して日々研鑽に励むパティシエ
石川県七尾市出身のパティシエ辻口博啓さんが「自分の菓子作りの集大成」と銘打って平成18年4月に誕生したのが「辻口博啓美術館 ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ」です

開業当初「世の中にこんなに美味しいケーキがあるんだ」と多くの能登人に驚きをもたらしたというお店は今、NHK朝の連続ドラマ「まれ」の放送開始とともに改めて脚光を浴びる存在となっています

ドラマの主人公「希」がパティシエを目指すという設定は、脚本家の篠﨑絵里子さんが辻口さんの存在を知って決めたと言います。
そのため辻口さんはドラマの「製菓指導」を任されていますそんな「ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ」のケーキは店のすぐ近くにある和倉アトリエ(工場)でスーシェフの藤井幸治さんはじめ、男女13人パティシエ(見習いも含んでいます)によって作られています

中でも7年前から和倉アトリエを任されているフジイイさん(富山県氷見出身)は広告のデザインや、鳶職、建設工事などを経験してこの道へ入ったユニークな経歴の持ち主です

藤井さんは2014年東京都で行われた第22回内海杯技術コンクールの飴部門で優勝し(内海杯)来年パリで開催される「モンディアル・デ・ザール・シュクレ」に日本代表として派遣される

ちなみに「辻口博啓美術館 ル・ミュゼ・ドゥ・アッシュ」は 第40回プロが選ぶ日本の旅館35年連続総合日本一に輝く「加賀屋」から歩いて1~2分です是非お泊りになられた時にはお立ち寄り下さい

・シュクレ・プラージュ・志賀町
上質は素材にこだわる中能登の若きパティシエ・山下卓人さん
志賀町生まれの山下卓人さん、里奈ご夫婦が地元で本格的な洋菓子専門店「シュクレ・プラージュ」を開業して今年で7年目になります

いい素材を使い手間ひまかけて自分が作りたいケーキにするとどうしても値段が高めに成るドラマ「まれ」の中でも希が能登ケーキ店を開いたばかりの時一番悩んだ所ですね
それが受け入れられるかどうか、不安もあったと振り返っておられますが、今ではすっかり地元にも馴染み、そればかりか金沢や富山県(石川県のお隣は富山県です)など遠方の常連も増えたといいます

店には常時、生菓子が20~30種類、焼菓子は約20種類揃えてあります、山下さんをはじめスタッフは休む暇なくケーキ作りに追われています

開店当初から山下さんがこだわって来たのが上質の素材です北海道の十勝産・産地指定の最高級の生クリームやフランスオペラ社のチェコレートなどこだわりぬいた素材だけを使用しています
ドラマ「まれ」でも希が修行していたマ・シェリ・シュ・シュでも素材に対するこだわりがそれはそれは強かったですよね、それだけ美味しいケーキを提供してくださるのだと感心します

素材をこだわった上で素材そのもののウルク示唆をいかして食感と味のバランスを重視した個性的なケーキ作りに取り組んでいます
以前「シュクレ・プラージュ」で働いていた奥野恵美さんは2年前に独立して同じ志賀町でご主人と「イグレッケ」というビストロを営んでいるそうです

スタッフの中には自分のお店を持ちたいという夢を持っている方もいるそうですが人材の育成をいう大切な役割も果たしているお店です
「シュクレ・プラージュ」はもちろんですがこのお店で修行して出された奥野恵美さんのビストロにも行ってみたいものですね

ケーキショップ オカダ・七尾市
おとうさんは洋菓子職人の先駆者、その技術を受け継ぐ姉妹
中橋裕子さんと岡田敦子さん
七尾市大手町に「ボンボン」という洋菓子店がありました
昭和44年開業時に経営に誘われて故郷へ戻って来たというのが東京都の洋菓子店に勤務していた岡田外喜雄さん(当時32歳)でした

岡田さんは七尾のパン屋で勤めた後に東京へ行き洋菓子の勉強をしていましたその経験を買われました、七尾で唯一の洋菓子専門店として岡田さんがシェフを務めた「ボンボン」はたちまち人気店となりました
昭和56年独立して桧物町で「ケーキショップ オカダ」を開業しました、ところがピンチが訪れました、一緒に働いていた弟さんが亡くなってしまい岡田さん自身も病に倒れてしまったのです

そんなピンチを救ったのは岡田さんの長女の中橋裕子さんと次女の岡田敦子さんです
都会に出てケーキとは無縁の仕事に就いていた姉妹が相次いで帰郷して父の指導でケーキ作りを手伝い始めたのです「主人が5年間みっち娘に教え込みました」と当時を女将である岡田花子さんが振り返ります

全く畑違いのお仕事からケーキ作りとは大変だったでしょうね、店は平性年10月に現在の場所へ移転しましたが、その後半年後に岡田さんは帰らぬ人となりました
「女性の繊細さ、丁寧さがケーキに現れていおます、凝ったものではないけど毎日でも食べたくなるようなケーキです」と花子さんが語ります
スタッフも含めて女性ばかりの繁盛店は2015年10月小島町へ移転予定です

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シャルドン・羽咋市
洋菓子で町おこし、地の食材を活かした商品開発・岡島一芳さん
若いころ、10代~20代にかけて羽咋市内でパン作りに携わっていた岡島一芳さんがヨーロッパや東京、金沢で洋菓子を学び、故郷の羽咋市で食パンとケーキの店「シャルドン」(フランス語でアザミの意味です)を開いたのは昭和50年9月です当時28歳でした

以来40年間地元の食材を活かしたケーキ、焼き菓子の商品開発を心がけ、積極店に地元と関わり続けてきています
「ヨーローパでの体験が大きかったと振り返る岡島さん、その時のっこう風土にマッチしたお菓子を作る事が基本ですもちろんその土地の素材を活かしたのものです」岡島さんは次々と湧いてくるアイディアを数多く商品化しています

そんな岡島さんが今最も注目しているのは羽咋市内で行われている自然栽培による米や野菜です
例えば人気商品のシュークリームの皮とカスタードクリーム、皮に載せるクッキーに自然栽培米の米粉を使ったり、5種類の能登野菜を材料にしたスティックケーキ「槐」(えんじゅ)に古代小麦粉を用いたりしています

「洋菓子もパンもアイディアは無限大、だから楽しい」と笑います、能登のパティシエの中でも1、2を争うベテランとなった今でも、県の新しい花、エアリーッッフローラをモチーフにした新商品をいち早く考案するなど柔軟な発想力と迅速な行動力は健在です

シャルドン・羽咋市
洋菓子で町おこし、地の食材を活かした商品開発・岡島一芳さん
若いころ、10代~20代にかけて羽咋市内でパン作りに携わっていた岡島一芳さんがヨーロッパや東京、金沢で洋菓子を学び、故郷の羽咋市で食パンとケーキの店「シャルドン」(フランス語でアザミの意味です)を開いたのは昭和50年9月です当時28歳でした

以来40年間地元の食材を活かしたケーキ、焼き菓子の商品開発を心がけ、積極店に地元と関わり続けてきています
「ヨーローパでの体験が大きかったと振り返る岡島さん、その時のっこう風土にマッチしたお菓子を作る事が基本ですもちろんその土地の素材を活かしたのものです」岡島さんは次々と湧いてくるアイディアを数多く商品化しています

そんな岡島さんが今最も注目しているのは羽咋市内で行われている自然栽培による米や野菜です
例えば人気商品のシュークリームの皮とカスタードクリーム、皮に載せるクッキーに自然栽培米の米粉を使ったり、5種類の能登野菜を材料にしたスティックケーキ「槐」(えんじゅ)に古代小麦粉を用いたりしています
「洋菓子もパンもアイディアは無限大、だから楽しい」と笑います、能登のパティシエの中でも1、2を争うベテランとなった今でも、県の新しい花、エアリーッッフローラをモチーフにした新商品をいち早く考案するなど柔軟な発想力と迅速な行動力は健在です

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